カタマラン艇「若水」で温めていたロングクルージングを実行

フレンチポリネシア3

ボラボラ島

みなさん 少しご無沙汰です。

我々は現在ボラボラ島にいます。
ここはネット環境悪く、又イリジウム電話機のお世話にならねばならなくなりました。

写真データを送信するには時間がかかり過ぎるので、写真は残念ながらまた後日。
高級リゾートホテルは宿泊客のみにネット使用許可のようです。

「若水」は

  • 8月12日昼、パペーテを出航して仲良くなったヒコさんの居るモーレアに一泊
    次の日、ヒコさんが島巡りに連れて行ってくださいました。
  • 13日夕方、夕陽を見ながらファヒネ島を目指して出航し、翌早朝ファヒネ島に到着しました。

この島はたった一泊しかしませんでしたが、また行きたいと思っています。
素朴 純朴 未開発 景色も綺麗でした。次に行ったライアテア島は強風でろくろく上陸もせず、翌日ボラボラに来たため印象がありません。

今いるボラボラは世界のボラボラ島ですから、綺麗、美しいは当たり前ですね。

でも本当に絵葉書みたいな景色の中にいます。

水深3メートル、まわりはすべてエメラルドグリーンの海。

目の前2キロにボラボラ島の標高727メートルのオテマヌ山、後ろは500メートルでモトゥ(サンゴ礁の小島)。

そこには世界で名だたるリゾートホテルが軒を連ねています。
「若水」から見て左から

  • フォオーシーズンズ・ホテル
  • セントレジス・リゾート
  • ル・メリディアンホテル
  • インターコンチネンタルと続きます。

言ってみれば我々ヨットが一番眺めの良い所を占有しているようです。

お茶やランチ、夕方のバーとホテル、とホッピングをしています。
セントレジスが出来一番かなあ(笑)。

宿泊料金は笑うくらい高いです。日本人結構宿泊していますよ。

ではまた。


ファヒネ島

モーレアを夕方、サンセットを見ながら85マイル(160キロ)先のファヒネ島を目指しました。
風は北東25ノットから30ノット。早くついても困るので、メインセールは揚げないでジブセールのみで大体6ノットで帆走。

朝6時島の東端に着きました。

夜明け直後の朝日に写る島は、大波がリーフに砕け、風に千切れて白煙を上げる光景は荒々しい光景でした。しかしそのリーフに守られるラグーンは遠目にも穏やかな海です。

夜明け直後の朝日に写る島

濃い緑に包まれるファヒネ島は思いのほか人家もリゾートホテルも少なく、自然豊かで美しい島です。
リーフに砕ける波を見ながら進み島1番の村、ファレ村前にアンカーを入れました。

静かな海岸前に停泊 静かな海岸前に停泊

純朴、素朴な感じの村人に教えてもらった商店は、思いのほか品揃えが良く感心しました。
村の前があまりに風が強いので、風裏に移動。水路を通って6キロ離れた、小さな、陸路では来れない白砂と椰子木の海岸前に停泊です。

我々を含めて3艇のヨット、1艇のメガクルーザーのみの世界です。

あれは 夢 幻 ?

ファヒネ島の夕焼け 翌朝の海岸

海岸で、夕方から・・しきりにメガクルーザーのクルーが動いているのが見えました。

日没と同時に、椰子の砂浜は宴の場所になりました。
客数20人 スタッフ15人以上 村人15人。

松明(たいまつ)、篝火(かがりび)、夜空には満月…。
座椅子に座った客の前で・・村人15人が・・アカペラで歓迎と宴の唄を、小1時間唄うのです。

唄の合間に聞こえるのは・・静かな波の音、篝火の火が弾ける音・・

これは贅沢の極みそのもの・・そして幽玄の世界でした。

その後テーブルでフルコースの晩餐となるのですが・・・

欧米人のやることはなかなか粋でスケールが大きく、水上コテージぐらいで満足している我々日本人は

もっと遊びにも仕事にも、そして政にも興味を持たないと・・欧米にはより差をつけられ、近隣国には追い抜かれるよ、と心配になります。

かつて江戸時代までの、御大尽や大名が遊んだ遊びの文化は、明治、大正、昭和、平成と時代が移るにつれて、スケールが小さくなったような気がするのは私だけでしょうか?

ところが翌朝
海岸にはゴミ1つ無く、いつもと同じリズムで、波が砂を洗い椰子が風にざわめいているのを見て

夜のあれは夢か幻か?・・とフト思いましたよ。

ボラボラ

まずは写真から。ラグーンに浮かぶ「若水」

背景はボラボラ島シンボルのオテマヌ山 背景は某超高級リゾートホテル


ラグーンの海の色:3から5メートル ラグーンの海の色:2から3メートル

ヴァイタペ村の船着き場に停泊していると
夜8時頃村から太鼓や木の打楽器の音が聞こえてきました。妻と二人で行ってみました。
六人の村人(青年)に二人の長老が指導する、タヒチアン音楽の練習に出会いました。

一時間以上真剣な練習は続き、その間、村人が入れ替わり野次馬に訪れてやはり南国の楽しい音楽そのものでした。

その後、某超高級リゾートホテルのタヒチアンダンスショーを見る機会がありましたが、その真剣さ、音の迫力など、皆さん、すべて練習のたまものなんでしょう。この踊りは最高です。

女房孝行と旨いものを食べたくて、ここボラボラでは有名な“BLOODY MARYS”に行きました。

ハリウッドスター御用達レストラン“BLOODY MARYS”

ブラディ・マリーにて

料理の紹介をしましょう。日本のレベル再認識ですよ!

中トロ刺身 ボラボラスタイル 牛スペアリブ炭火焼(でかくて一人で食べられないよ) 南太平洋イセエビグリルボラボラスタイル 

店内 従業員 客 すべて明るくて さすがボラボラで35年の歴史を持つ店ですね。
ハリウッドスターはいませんでしたが、韓国ドラマで良く見る派手なロングヘアーの肉感的女優と彼氏はきていました。
誰かと聞かれても知りません。

そろそろ、マウピティに移動しようかなあ。

「若水」酔艇長 菅原

マウピティ島

タヒチ・ソシエテ諸島西端の小島、MAUPITI マウピティ島・・ボラボラ島から帆走 5時間 

唯一観光化から逃れられた島マウピティ

この島に入るには恐ろしい、怖い、狭い水路を抜けないと入れないと、タヒチを知り尽くしているヒコさんに脅かされていました・・入り口で座礁するヨットも良く在るとか・・・

恐怖の狭い水路 水路に入る時の緊張、恐れ

そんなこと言われても、マウピティ島は訪れたい島でした。

実際、水路に入る時の緊張、恐れは、目の前に水路をみて極点に達しました。

巾60から70メートル、両側は鋭いリーフ、そのリーフに打ち付ける大波は巨大に見えて恐ろしい。

ましてや逆潮。対水スピードは7ノットもあるのに対地スピードは2.5ノットから3ノット。
水路を抜ける時間せいぜい10分、その緊張は思い出しても、冷や汗ですよ(苦笑)

マウピティ島 堀のような山

周囲を大小4つのモトゥ(小島)に囲まれて、島のどこに居てもリーフに当たる波音が聞こえます。

島は他のソシエティ諸島と成り立ちは同じで、海底火山の噴火で出来た島。
標高300メートル位の塀のような山が特徴です、これとて城壁にも見えます。

村は小さく、塀の山下にうなぎの寝床のように続き1キロ弱でお終いです。
商店も、雑貨屋と言えないくらいの店が2軒・酒屋1軒・スナック1軒・・このスナックはとても美味しいレストランでした。

サンドイッチ屋(フランスパンにトマトとハムか、ゆで卵はさんだだけ)1軒これだけ

潔いほど何も無い、しかし人情や純朴さはピカ一でしょう。

民宿数件、高級ホテルは無し、観光化から逃れた自然豊かな離島です。

水道は100メートルに1っ箇所位 かわいらしい少女が水汲みに来ていました

少女が水汲みに 少女が水汲みに

貸し自転車で島一周に出掛け、喉が渇いてしまいました。
海岸の日陰で休んでいる青年と話していると、直ぐ椰子の木に登り、鉈であっという間に口を開けて
飲ましてくれました。

ウーン 大感謝!

マウピティ島の美しい景色を紹介します

タイトル タイトル タイトル 

白砂の浜は珊瑚と貝で出来ています

タイトル 少年達のカヌー練習、呼吸が合わずスピードはいまいち タイトル

10日に一度の物資運搬船

プロパン 小麦粉 などの生活必需品多数 タイトル
 
一つ不思議な事。ここの人たちは何を仕事として生活しているのかなあ?

  • ガソリンは1リットル250円するし
  • ヒナノビールも330mlが300円 500mlは430円。
    生活必需品も日本の2倍以上ですからねえ

キャリン&ジャン.フランソォア夫妻 フランス系スイス人ご夫妻

ここマウピティ島で仲良くなったキャリン&ジャン.フランソォア夫妻
彼らはフランス系スイス人でタヒチ ソシエテ諸島二年目

次なる目的地はここから西へ約200キロ、モンペリエ島 六家族のみ暮らす環礁だそうです。

若水もここでしばらく停泊したら、同じくモンペリエ島へ向かいます

次のブログアップは9月12日くらいを予定しています。

タヒチから他の南太平洋

急用が出来て10日間 日本に一時帰国してきました。

マウピティのラグーンに若水とクルーの二ライ君を置いて大忙しの帰国でした
妻は予定を変更してしばらくは日本で留守番です。

そして報告です。

新たにクルージングメイトが参加します。

  • 日本のヨットレース界をリードし続けてきた、名艇カラスのボースン大木克也氏がタヒチから
    ニューカレドニアまでの航海に参加です。

大木さんはレース人生をロングクルーズに変更して南太平洋を楽しむ予定です。

  • そしてトンガからは、日本のヨット界をご夫婦でリードし続けてきた人で
    ヨット界で彼女の名を知らない人はいないという丹羽徳子氏を迎えます。

このお二人を迎えてのクルージングは楽しいの一言でしょう、

海の先輩や、かつてのレース仲間との南太平洋クルージングは至福の時間を与えられたようで
幸せそのものですね。


9月8日 成田を大木さんと旅立ち、同日早朝(4時)パペーテに到着

空港入国審査で私はトラブル発生

ランギロアとかパペーテの港の入国とかベタベタ スタンプが押されていて疑問に思ったのでしょう

帰りの飛行機のチケットがあるか?・・と聞くから
「無いがボラボラから自分のヨットで今週末出国する」と答えました。

というと不審者扱いで 何を言っても聞いてもらえず 最後に回されました。

いやあ、ほんと、久し振りに困った!そのやりとりの一部

審査官面倒なもので

  • 「今日どこに泊まるか?」聞くので・・「目の前の空港ホテル」と答えると
  • 「3時間半後の朝8時半にまた来るように、それまでパスポートは預かる」と言われ。

いやあ、フランス官憲は問答無用(本当は空港警察の単なる知識不足)でした。

朝8時半 時間通り出頭したら、待つこと30分

  • 「お前は帰りの飛行機のチケットを持っていない、若しくはボンド(保証金)を積むこと。」
  • 「ボンドは8月初めパペーテで取ってその証拠にVISAが2か月間押してある」と主張したら

調べるといって又30分待たされて「お前嘘つきだろ」というのです。

そして

  • 「帰り(日本)の航空券か保証金(ボンド)24万円相当を銀行に行って収めて、その書類を持って戻るよう」に指示するのです。
  • 「なんで2度もボンドが必要なのだ」と主張しても通じず、
  • 「パスポートコピーを銀行に持って行くように」と言って奥の部屋に行きました。

奥の部屋のおばさん(婦人警官)が何やら入国審査官に話しかけていました。

入国審査官戻ってきて

  • 「パペーテ港湾入国審査事務所に行くように」「そこで再入国スタンプを押してもらい 週末ボラボラから出国するように」

あきれましたね、初めからその予定だと主張しているのに 聞く耳もたずで
こんなに手間をかけて 自分たちの知識不足でしょうに 。

タクシーで港湾入国審査事務所に行き、ものの数秒で「お帰り!気をつけて、良い旅を!」と送り出されました。

ロングクルーズはトラブルや問題解決の旅でもあります。

次なる問題は
同行の大木さんの国内線パペーテ~マウピティ島が日本でもパぺーテでも、満席で取れないのです。

色々方策して、緊急にマウピティ島に行かねばならないのでキャンセル待ちの順番を早めてもらいました。

言ってみるもんです。緊急で行く用あり、直ぐ取れました(大笑い)

夜、以前から通っているレストラン&バーで大木さんと食事

タイトル タヒチにもいるヤシガニ バーのマダムとホステスと一緒 ご満悦の大木さん

嵐を呼ぶ男

天候がここしばらく不順で雨 突風が続いていて風待ちをしても安定するのが先と判断、出港しました。

9月10日 マウピティ島から出港してボラボラ島に向かいました
海域は久々の時化 パスをやっとの思いで抜けると、向かい波 5−6メートル

雨 時化のマウピティ島 久し振りの船酔いの後、着いたボラボラ島

風 30から35ノット 大木さんが相模湾の時化を連れてきたのでしょうか。

9月11日(木)

出港準備のため バイパテの桟橋に行き警察やらで手続きをしていると、何やら元気な日本人グループに遭遇しました

関東のヨット乗りで知らないものなしの名艇 マウピティの軍団に会いました。
マウピティのグループはマウピティ島でセレモニーを終えて、ボラボラ散策中でした。

大木さんは旧知の方々と会って、大喜びでした。


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