セントルシア
ARC(大西洋横断ラリー)のその後
到着後小さいパーティは数回会ったのですが、気が抜けてあまり参加する気にならず
- マリーナの社長のご自宅を解放した大パーティと
- 表彰式のパーティは行ってきました。
マリーナの社長の自宅解放の大パーティは、本当に大きなパーティでしたが、だから何なのと言う感じで、旧知の友もだんだん少なくなってきて「ARCも終わったんだなあ」という感じのパーティでした。
それでも表彰式のパーティはとても興味がありました。
自分が表彰される訳でないことは十分承知の上で、どんな人や船が表彰されるか興味津々で出かけました。
ちなみに私たちは、マルチハルクラスでゴールしたヨット23隻中8位という成績でした。
各クラス3位まで表彰されるのは当たり前ですが、ARCらしいと思ったのは、次のような賞が準備されていることでした。
- 一番幼い子共を連れて大西洋を渡ったヨット
- 一番年長の船長(77歳)
- 2隻のボートピープルの人を助けた4隻のヨット
- 一番年少の船長(19歳)
- ベストカップル(新婚旅行)
- 一番古いヨット(100年以上)
- 一番長くセーリングをしたヨット
- 一番長くエンジンを使ったヨット
などなど。よく考えてるなあ、と思う賞を与えて、参加者を喜ばせておりました。
セントルシアの思い出
さて十日余り滞在したセントルシア
- 人口わずか20万人にも満たない国ですが
- 中々一応、国の体裁を整えており
- 入国管理もカーボン紙を使う等の
ローテクノロジーなど国の経済事情もあるのでしようが
- 賄賂を要求される訳でもなく
とても公平に扱ってくれて気持ちよく対応できました。
また、人々はとてもフレンドリーで
ヨットを止めている泊地には、絶えず「現地の音楽」が流れており
・・特に夜は・・
泊地のそばの広場で繰り広げられる
- ドラム缶バンドやレゲイ音楽・・そのそばにある、
- 野外バーで飲む、1杯5カリブドル(200円)のラムパンチを片手に
現地の人と会話しつつ時間をすごしていると、つい今が12月であることを忘れていました。
町の人たちは物価も高くそんなに裕福とは思えませんでしたが・・そこはカリブ海。
眩しい太陽、爽やかな風、ワクワクするような音楽で、明るく楽しく暮らしているように感じられました(表面的かな)
セントルシアで出会った日本の若者
滞在六日目の夕方
マリーナのカフェーの側を通りかかった時、日本語の会話が聞こえたような気がしました。
振り返ったら、そこに紛れも無い、綺麗な若い日本女性が二人・・居たのです。
「日本の方ですか?」と、声をかけると・・・驚いた声で
「そちらも日本の方ですか?」となりました。
海外青年協力隊の隊員の方達で
ここセントルシアには、14名の隊員が赴任して、国造りに協力しているとのこと。
さすがその趣旨に参加する人だけあって、出会った若人4名全員、清清しくて、ゆっくり又会って、語りたいと思う人たちでした。

一日、近郊までセーリング出来た事は、我々と若人4名の良い思い出になりました。
マルチニーク島に移動
みなさん、お久しぶりです。
12月19日にメッセージをアップして以来ですね。
私たちは、現在、マルチニーク島にいます。セントルシアのすぐ北にある国です。

12月23日午前11時、十日あまり滞在したセントルシアを出港し
その日の夕方、隣りの国「マルチニーク」(フランス海外県)に到着。
首都フォールドフランス(Fort-de-France)
街の中心・教会前の海岸に、アンカーリングしました。
同乗しているレイナルドが早速イミグレーションにVHFラジオで連絡をしました。
「今日はもう仕事が終わったので明日朝事務所に来るように」との指示でしたが
24日早朝、5人で我々のヨットに乗りつけて入国審査が始まりました。
やはり日本のヨットは珍しいらしく色々質問を受けましたが、特に問題も無く、とても好意的な印象でした。
真夏のクリスマスイブ
フォールドフランスという街は、百年前にタイムスリップした如く、古びて半分朽ちている建物を使用しており、とても興味をそそられます。
街のあちこちの教会から・・日に何度も礼拝を知らせる鐘が鳴り響き・・その鐘の音が・・
今日クリスマスイブであることを我々に意識させました。
街は
夕方前には全ての店が閉まり・・昼の喧騒がうそのように・・本当にひっそりとした佇(たたず)まいに変わりました。
しかし
いつの世も若者がそうである様に、どこも爆竹や花火を上げ、深夜まで騒いでいました。
